続いては、意図的に別の作曲家になりすましていたケースをいくつかご紹介します。
実は、多くの作曲家が、偉大な先人たちの名前を使って楽曲を発表していたのです。
興味深いことに、なりすましの被害にあっていたのは皆、バロック時代の作曲家たちでした。
クライスラーの場合
フリッツ・クライスラー(1875~1962)はオーストリア出身の世界的なヴァイオリニストです。
ユダヤ系であったため、オーストリアがナチス・ドイツに併合されたのを機にフランス国籍を取得。後にアメリカに渡り、アメリカ国籍を取得しました。
自身のコンサートでは、「図書館で埋もれていた作品を再発見した」と称して、さまざまな作曲家の作品を演奏していました。
しかし、疑問に思ったニューヨークタイムズの音楽担当記者が尋ねたところ、自作であることを告白したのです。
三十数年もの間、何も知らずに聴いていた批評家には「作品はすばらしいが、演奏は大したことがない」と言われたこともあったそうですから、評論家の面目丸つぶれですね。
隠していた理由としては、作品を正当に評価してほしかったというのがあったようです。確かに、もしクライスラー自身の作曲と最初から知っていれば、作品自体もけなされていた可能性もありますね。
また、プログラムに自分の名前ばかりが並ぶのを避けたかったとか、他のヴァイオリニストが遠慮して弾かないかもしれないから伏せた、といった理由もあったようです。
ただ、最後の理由は杞憂に終わりました。今や、クライスラーの作品はヴァイオリニストにとって大きなレパートリーのひとつになっています。
なお、クライスラーが他の作曲家を装って書いた作品は、現在では「(作曲家名)の様式による~」というタイトルで表記されています。
カッチーニのアヴェマリア
続いては、カッチーニが作曲したと言われていた「アヴェマリア」についてです。
カッチーニはバロック初期の作曲家ですが、実は「アヴェマリア」は旧ソ連の音楽家ウラディーミル・ヴァヴィロフ(1925~1973)が作曲したものだったのです。
ヴァヴィロフはよく自身の作品を昔の古典作曲家の名前を借りて発表しており、他にもそのような作品がいくつかあるそうです。思わせぶりな秘密主義者だったのでしょうか。
自身は作者不詳として発表していたのですが、死後にはなぜかD.Caccini作と表記され(しかも、音楽史上ではファーストネームがDで始まるカッチーニ一族の音楽家はいない)、「カッチーニのアヴェマリア」として広まりました。
全然、いわゆるカッチーニの様式っぽくないんですよね、この曲。
ヴィターリのシャコンヌ
続いては、これまたバロック初期の作曲家ヴァターリが作曲したと言われていた「シャコンヌ」です。
実はこの曲に関しては、真の作曲家がはっきりしないようです。以下、3つのヴァージョンがあります。
・ドレスデンの図書館にあるオリジナルとされる原稿(ヴィターリの作品ではないという説が有力)。
・フェルディナンド・ダヴィット(1810~1873)が書いた教本に紹介されている曲。ちなみにダーフィトはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を初演したヴァイオリニストとしても有名。
・レオポルド・シャルリエ(1867~1936)による編曲。
そして、一般に演奏されている「シャコンヌ」はシャルリエの編曲したもののようです。
アルビノーニのアダージョ
また、バロック後期の作曲家アルビノーニの「アダージョ」も、なりすまし作品のひとつです。
第二次世界大戦中のドレスデン空襲の後、イタリアの音楽学者レモ・ジャゾット(1910~1998)がドレスデン国立図書館の廃墟の中で断片を発見し、オルガンと弦楽合奏用に編曲したとして、1958年に初めて出版されました。
しかし、現在ではジャゾットの完全な創作だと言われています。しかし、本人はあくまで編曲だと主張していたそうです。その意図はなんだったのでしょうか。
亡くなる数年前、「私はアルビノーニを忘却の淵から救いたかった」というコメントを残したそうですが…。
バロック時代の作曲家へのなりすましが多い!?
ここで挙げたのは後世の人が過去の作曲家の名前を使って作曲した例です。ですから、いずれも意図的なものだったと言えます。
バロック時代の作曲家の名前が使われているのも偶然ではないと思います。
というのも、バロック時代の作曲家の作品は全容が把握されていない部分がありますから、「新たに作品が発見された!」と言っても信憑性があるのでしょう。