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交響曲の歴史とソナタ形式の成立|ハイドンとベートーヴェン

交響曲&ソナタ形式の歴史イメージ画像

バロック時代に調性が確立されたことにより、発展していった楽曲形式がソナタ形式です。

交響曲をはじめ、多くの器楽曲がこの形式で書かれているという意味で、ソナタ形式は古典派音楽を象徴する形式と言えるでしょう。

本記事では、交響曲など楽曲形式の歴史と共に、ソナタ形式が成立する過程について見ていきます。

バロック時代のソナタ|器楽曲からの変遷

ソナタはイタリア語の「ソナーレ」(「奏でる」の意)から来た言葉です。

ソナタと対をなす言葉として、「カンタータ」があります。カンタータは、「声楽曲」を意味する言葉です。

一方で、ソナタはもともと、カンタータと対をなして、単に「器楽曲」を指す言葉でした。

そして、バロック後期になると、「教会ソナタ」「室内ソナタ」といった形式が生まれます。

「教会ソナタ」は舞曲を含まない緩・急・緩・急の4楽章構成から成ります。室内ソナタと比べてポリフォニック(多声)な書法と荘重な表現が特徴で、最初は教会で演奏されていたことからこのように呼ばれました。

対して、「室内ソナタ」は前奏曲に舞曲が続くという形です。こちらは宮廷や王侯貴族の館で演奏されていたことから、このように呼ばれています。

スカルラッティが数多く書いたチェンバロ・ソナタは二部形式で、単一楽章の形を取っています。

イタリア古典派|交響曲=管弦楽によるソナタの登場

古典派時代は交響曲(シンフォニー)というジャンルが確立した時代でもあります。交響曲は管弦楽によるソナタと言うことができますね。

オペラの上演の前に演奏されていた序曲(シンフォニア)を、サンマルティーニ(1700頃~1775)が序曲のみを独立して演奏したのが始まりとされています。

また、急・緩・急から成るイタリア風序曲のそれぞれの部分が楽章として独立していきます。

前古典派~マンハイム楽派|四楽章形式の交響曲やソナタ形式の成立

18世紀ドイツ・マンハイムに宮廷を置いたプファルツ選帝侯テオドール(1724~1799)の宮廷楽団を中心に活躍した音楽家たちを指して、「マンハイム楽派」と言います。

代表的な音楽家は、フランツ・クサーバー・リヒター(1709~1789)、イグナッツ・ホルツバウアー(1711~1783)、ヨハン・シュターミッツ(1717~1757)やその息子カール・シュターミッツ(1745~1801)、イグナッツ・フランツル(1736~1811)などです。

この時代の大きな特徴として、交響曲を急・緩・急の三楽章構成から四楽章形式に変更し、その第三楽章としてメヌエット・トリオを挿入したことが挙げられます。

また、ソナタ形式の形成や「マンハイム・クレッシェンド」と呼ばれる新たな表現方法など、古典派の音楽へとつながる形式や表現が生まれました。

ハイドン~交響曲の父、弦楽四重奏の父、ソナタ形式の父

ソナタ形式を確立した人物は、ハイドンであると言われています。

ハイドン(1732~1809)は交響曲で100曲以上もの作品を残し、「交響曲の父」と呼ばれる人物です。

長期間にわたって書かれた作品群を辿ると、その変化はまるで交響曲の歴史を見るようです。

モーツァルトとの出会いもハイドンの作品に大きな影響を与えたと思われます。

交響曲の確立はハイドン一人で成し遂げたわけではありませんが、現代まで続く交響曲のひな型を作り上げ、それを作品として残したという点で「交響曲の父」という称号はふさわしいでしょう。

また、弦楽四重奏曲のジャンルでも70近くの作品を残しており、「弦楽四重奏の父」とも言われています。このジャンルを事実上創設したと言ってもいいかもしれません。

モーツァルトもハイドンとの出会いで「ハイドン・セット」と呼ばれる弦楽四重奏曲を作曲していますが、弦楽四重奏というジャンルにおいて、ハイドンへの敬意を感じ取ることができます。

ハイドンの場合、弦楽四重奏が発想の根本にあって、そこから交響曲やソナタといったジャンルへと広がっていったと考えられます。

ハイドンがソナタ形式を確立し、モーツァルトやベートーヴェンに受け継がれていきました。

ソナタ形式の具体的な楽曲形式

それではここで、確立したソナタ形式の具体的な楽曲形式について確認していきましょう。

ソナタ形式は、大きく呈示部、展開部、再現部の三部分に分かれています。

呈示部ではまず主調による第一主題が、そして属調(主調より5度上)あるいは下属調(主調より5度下)で、第一主題とは対照的な第二主題が出てきます。

展開部では自由な展開が行われ、再現部で再び第一主題が出てきます。続く第二主題は転調せずに同じ調で表れ、終結…という構成です。呈示部と展開部の間には繰り返し記号が入ります。

そして、ハイドンと言えば、「主題労作」と呼ばれる形式を用いたことで有名です。

これは、主題のモチーフを展開部でも使用することで楽曲を有機的に構築するという手法です。

革命児ベートーヴェンによる交響曲

ベートーヴェン以前は、第3楽章にメヌエットを置く形式が主流でした。

ところが、ベートーヴェンはメヌエットの代わりに、「スケルツォ」を置くようになりました。

スケルツォはイタリア語で「冗談」「気まぐれ」の意味で、特定の拍子や形式を表したものではありません。メヌエットと比較すると、スケルツォはテンポを速く設定してあることが多いです。

また、楽章の冒頭に詩の一節をつけた交響曲第6番「田園」、声楽を持ち込んだ交響曲第9番「合唱付き」など、様々な試みで楽曲の形式に革新をもたらしました。

ロマン派以降のソナタ形式・交響曲

その後、交響曲は作曲家にとって重要なジャンルと認識され、ブラームス、ブルックナー、さらにマーラー、現代の作曲家へと引き継がれていきます。

ベートーヴェンの「田園」での試みはベルリオースの「幻想交響曲」につながり、さらには文学的、絵画的内容の強い、リストによる単一楽章の「交響詩」が生み出されることとなりました。

ソナタにおいても、調性構造よりも主題の展開のほうに重きを置かれた構成へと変化していきます。

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