音楽史

メヌエットはバッハ作曲じゃない?作曲家が定説と違う・異なるケース

有名なメヌエットのト長調とト短調がバッハの作曲という従来の定説は間違い?作曲家が定説と異なるケースを集めました。

有名なあの人の作曲だと思っていたのに、実は別の人の作曲だった!という作品は、意外と少なくありません。

このページでは、そのような従来の「定説」と異なる作曲家たちの作品をあつめました。

メヌエット=J.S.バッハ=は間違い!?バッハ作ではない楽曲の数々

まず、最も有名なのは、バッハのメヌエットと呼ばれていた作品でしょう。

《アンナ・マグダレーナ・バッハの楽譜帳》という曲集に収められているメヌエットのト長調(BWV Anh. 114)とト短調(BWV Anh. 115)は、非常に有名な曲で、発表会などでもよく演奏されています。

メヌエットは、従来はバッハが作曲したと言われていました。

しかしながら、実はメヌエットはクリスティアン・ペツォールト(1677~1733)の作曲だったということが判明したのです。

この楽譜帳にはバッハの作品と他人の作品が混在していて、作曲者名も書かれていなかったことから、誤解の元になったようです。

他には、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ハ短調(BWV1024)は、ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル(1687~1755)の作品とされています。当時の有名なヴァイオリニストです。

また、指導の一環と思われますが、J.S.バッハが息子C.Ph.E.バッハの書いたものに対して手を加えたものや自分の書いた低音部にメロディーを書くように指示した合作のようなものもあります(BWV1020、BWV1031、BWV1033、BWV1038)。

2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ハ長調(BWV1037)は、ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク(1727~1756)の作曲とされています。

ゴルドベルクはJ.S.バッハの弟子でしたので、これもC.Ph.E.バッハと同じケースなのではないでしょうか。

ヴィヴァルディの「忠実なる羊飼い」、実は?!

フルートソナタとして有名なこの曲、実はフランスのニコラ・シェドヴィル(1705~1782)というミュゼット奏者の作品です。これはバッハの場合と違い、確信犯!

なぜなら、1737年に《アントニオ・ヴィヴァルディ作曲「忠実な羊飼い(Il pastor Fido)」Op.13》というタイトルで出版されているからです。

ヴィヴァルディの名声を借りてでも、楽曲を売りたかったのだと推測されます・・・。

他にも、ヴィヴァルディの「四季」を元に、ミュゼット、ヴァイオリン、フルートのためにアレンジした「Le printems, ou Les saisons amusantes」(1739年)を出版して、好評だったらしいです。

偽作多数のペルゴレージ

ジョヴァンニ・バティスタ・ペルゴレージ(1710~1736)はイタリアのナポリ楽派の作曲家で、オペラ・ブッファ「奥様女中」や宗教曲「スターバト・マーテル」で有名です。

26歳で夭折し、その後人気が急上昇。多数の偽作が出回りました。20世紀の前半に出版されたペルゴレージ全集には全部で148曲の作品が収められていますが、そのうちの約5分の4が偽作あるいは偽作の疑いのある作品と言われています。

たとえば、声楽で最初に使うテキスト「イタリア歌曲集」の中に収められ、よく歌われる「Se tu m'ami(もし貴方が私を愛してくれて)」。実は、アレッサンドロ・パリゾッティ(1853~1913)がイタリア歌曲集を編纂した際に、自作をペルゴレージの名前で載せたと言われています。

また、フルート協奏曲も偽作ではないかと疑われています。

なじみ深いハイドンのあの曲も

長らく親しまれてきた有名な「ハイドンのセレナーデ」を含む弦楽四重奏第13番~第18番が偽作と判明しました。

これらの曲の真の作曲者は、オーストリアの修道士ローマン・ホフシュテッター(1742-1815)です。

ハイドンの大ファンで、ハイドンの音楽様式に倣って自らも作曲したそうです。こういうのって研究者泣かせですね…。

1777年にパリのベユー社が当時人気だったハイドンの名前を勝手に騙って出版したのが原因のようです。ホフシュテッター自身は正当な対価を得られず、経済的には大変困窮していたとのことで、お気の毒です。

「おもちゃのシンフォニー」は作曲者としてヨーゼフ・ハイドンの他、弟のミヒャエル・ハイドン、モーツァルトの父レオポルト・モーツァルトの名前が挙がっていましたが、現在では エドムント・アンゲラーが有力視されています。オーストリア、チロル地方出身でベネディクト会の神父だった人物だそうです。

「モーツァルトの子守歌」で知られるあの曲は…

フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゴッター作詞、日本語歌詞では堀内敬三の訳詩の「眠れよい子よ 庭や牧場に~」が知られています。

これは、オーストリアの作曲家ベルンハルト・フリース (1770~1803)の作曲です。モーツァルトと同時代のドイツの医師だったようです。

これがなぜモーツァルトの作品と言われていたのでしょうか。

コンスタンツェ(モーツァルトの妻)が持っていたフリースの楽譜を見てケッヘルが整理番号をつけてしまったとか、再婚相手が出版した伝記に「モーツァルト作曲」の記述が見られたから、などの説がありますが、いずれも憶測ではっきりした理由はわかっていません。

今は、「フリースの子守歌」とも記載されているようですね。

作曲者が間違われた背景は?

ここまで5人の作曲家のなりすまし(?)例を挙げましたが、それぞれ背景が違います。

悪質なケースはヴィヴァルディとハイドンでしょうか。ヴィヴァルディではシェドヴィル本人が、ハイドンの場合は出版社が、意図的に利用しています。

バッハやモーツァルトの場合は整理できていないが故の取り違えという感じです。バッハの場合は後世の人々の勘違いということでしょうが、モーツァルトの場合はモーツァルト自身あるいは残された妻コンスタンウェの管理の杜撰さ故という気も…。

ペルゴレージは悪用しようとしたケースもあったでしょうし、思い込みもあったでしょうし、半々かもしれませんね。当時は著作権もなかったわけですから、知的財産を守るという認識もなかったでしょう。

研究が進んで新事実がわかるのは喜ばしいことですが、長年慣れ親しんできた曲が偽作というだけであまり演奏されなくなったり、楽譜を見かけなくなったりするのはさびしい気がします。

あと困るのは、正しい作曲者名を言っても何の曲だかピンと来ないこと。そのような場合は「伝」の字を付けて、「伝バッハ作曲、メヌエット」のように言うしかなさそうです。

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DoReMi
音楽系教育機関で音楽家の学習や演奏活動を支援しながら、ピアノやソルフェージュなど自身の音楽活動を継続しています。音楽学習者がつまずきやすい音楽の概念を読んで理解できるサイトを創りたいという思いから、「DoReMiOnline」を立ち上げました♪