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バッハとマリア・バルバラの子どもたち|フリーデマンとエマヌエル

バッハとマリア・バルバラの子どもイメージ画像

ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)[以下、J.S.バッハ]は、1つ年上の従姉マリア・バルバラ(Maria Barbara Bach)との間に7人、その後アンナ・マグダレーナとの間に13人の子どもをもうけます。

その中で成人したのは、男子6人、女子4人でした。

J.S.バッハの子どもたちはどのような生涯を過ごしたのでしょうか。

本記事では、J.S.バッハの子どもたちの中から、マリア・バルバラとの子どもたちをピックアップしてご紹介します。

バッハとマリア・バルバラの子ども①|ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ

バッハとマリア・バルバラの長男は、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach / 1710~1784)です

最初の男子だったこともあってバッハの期待は大きく、またそれだけの才能にも恵まれていたと考えられています。

彼への期待の大きさは、バッハが「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」という作品を書いていることからもわかります。

ケーテンの宮廷楽長だったJ.S.バッハがライプツィヒに移ったのは、理解のあった領主レオポルト公が結婚して音楽への興味が薄れたことに加えて、息子の教育上、大学のある都市のほうがよいと考えたためのようです。

バッハは自分が末っ子で両親も早くに亡くなったことで大学に行けなかったので、息子には充分に教育を与えたいと思ったのでしょう。

ライプツィヒ大学で法律を学び、1733年にドレスデンの聖ソフィア教会オルガニストに、1746年にハレの聖母教会オルガニストに就任します。

そのため、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハは、「ハレのバッハ」あるいは「ドレスデンのバッハ」と呼ばれています

1764年ハレのオルガニストを辞任してからは定職に就かず、飲酒と放浪の日々を過ごしたと言われています。

貧困から、相続した父J.S.バッハの楽譜を売り払ったり、自分の作品と偽ったりしていたため、結局は評判を落としてしまっています。

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハは五線紙に書くよりも即興演奏を好んだと言われ、残された作品からは自由奔放な感情表出がうかがえます。

バッハとマリア・バルバラの子ども②|カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ

J.S.バッハの次に有名なバッハと言えば、このカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach)でしょう

彼の名付け親はドイツの作曲家・ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681~1771)で、「フィリップ」の名前もテレマンの名前にちなんでいます。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハもフリーデマンと同様にライプツィヒ大学に進学し、その後フランクフルト・アン・デア・オーダーのヴィアドリーナ大学で法律を学びます。

それからプロイセン王国のフリードリッヒ大王のもとで、チェンバロ奏者としてベルリンとポツダムの宮廷で活躍することになります

J.S.バッハがベルリンを訪れた際、エマヌエルからJ.S.バッハのことを聞いていたフリードリッヒ大王はテーマを提示し、それに応えてJ.S.バッハは即興演奏でフーガを展開します。

そして、さらに手を入れて献呈したものが「音楽の捧げもの」(BWV1079)という作品であると言われています。

1768年ハンブルグに移り、テレマンの後任としてハンブルグの楽長及び同市の5大教会の音楽監督に就任し、同地で没するまで活躍しました。当時は、大バッハと言えばこのエマヌエルを指していたそうです。

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作風は多感様式(微妙なニュアンスや濃淡の変化、そして、様々な感情の表現に重きを置く音楽様式)を反映しており、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどに大きな影響を与えたと言われています

また、J.S.バッハの遺産を後世に伝えるのにも貢献しました。

ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト・バッハ(1715~1739)

ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト・バッハ(Johann Gottfried Bernhard Bach)も、バッハとマリア・バルバラの子の一人です。

彼も成人を迎え、ミュールハウゼンとザンガーハウゼンで教会オルガニストを務めますが、24歳で急逝しています。

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以上がバッハとマリア・バルバラとの間の子どもです。マリア・バルバラの産んだ子どものうち、成人したのは男子3人と女子1人でした。

長男のフリーデマンの上に、長女カタリーナ・ドローテア(1708~1774)がいますが、残念ながらエピソードは残っていません。

フリーデマンとエマヌエル、音楽史上の重要度で言えば、やはりエマヌエルに軍配が上がります。

よくスポーツの世界では弟や妹のほうが大成すると言われますが、バッハ家も同じなのでしょうか。

エマヌエルの場合、父に認められたいという想いがあったように思います。あくまでも憶測ですが…。

レオポルト公がカールスバートで保養するため同行していたJ.S.バッハの不在中に、マリア・バルバラは36歳で急死してしまいます。

J.S.バッハが帰ってきたときにはすでに埋葬されていたと言いますから、残された子どもたちは心細く、J.S.バッハも途方に暮れたのではないでしょうか。

翌年、J.S.バッハはアンナ・マグダレーナと結婚します。その子どもたちについては、また別の記事でご紹介します。

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