ショパン(1810~1849)が「ピアノの詩人」と言われるのに対し、フランツ・リスト(1811~1886)は「ピアノの魔術師」と言われています。
リストは、片手で10度(白鍵10個分)の音程を押さえることができた、指の動きが速くて指が6本あるんじゃないかと言われた、パワフルな演奏でコンサート中にピアノがよく壊れた、といった逸話が受け継がれています。
そんなリストが愛用したピアノは何だったのでしょうか。
調べてみると、「リスト愛用のピアノ」としていくつかのピアノメーカーの名前が挙がります。
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リストが使用したピアノ|リスト愛用のメーカーは?
リストは、その生涯で様々なメーカーのピアノを使用しています。
特に、エラール・ベーゼンドルファー・ベヒシュタイン・シュタイングレーバーの4つのメーカーのピアノを愛用していたと記録されています。
それぞれのピアノの特徴について見ていきましょう。
エラール|特許取得のレペティション
19世紀前半のリストは、エラールを愛用していました。
エラールと言えば、特許を取得しているレペティション式(ダブル・エスケープメント)アクションです。
ダブル・エスケープメントアクションは、ハンマーを支えるジャック(弦をはじく)が打鍵後に素早く元の位置に戻る仕組みです。
素早い反応で連打も可能になったこの機構は、音量や音色にも大いに影響を与え、華やかで輝かしい響きを持っています。リストがいかにも好みそうです。
エラールは1823年パリ大博覧会にこのダブル・エスケープメントを備えたグランドピアノを出品しました。
リストは1924年パリのデビューコンサートの際に、エラールのピアノを使用しています。
ベーゼンドルファー~リストのパワーに対抗できる楽器
続いてリストが使用していたピアノは、ベーゼンドルファーです。
ベーゼンドルファーは、1828年にウィーン生まれのイグナッツ・ベーゼンドルファー(1794~1859)によって創業されました。
その2年後にはオーストリア皇帝から「宮廷御用達のピアノ製造業者」の称号を受けています。
また、ベーゼンドルファーは、「リストの激しい演奏にも壊れることなく耐え抜いた楽器」として有名なメーカーです。
リストは1846年にベーゼンドルファーと出会い、耐久性・頑丈さだけでなく、温もりのある深く絶妙な「ウィンナートーン」と呼ばれるその音色を愛し、多くの演奏会で使用したのです。
木の響きにこだわり、丁寧な手作業によって作られるピアノの台数は極めて少なく、創業190年間で総生産台数はわずか5万台!ヤマハは100年間で約600万台作られているそうですから、その希少性がうかがえます。
経営悪化により、現在ではヤマハの傘下で「ベーゼンドルファー」のブランドを残しつつ、製造を続けています。
ベヒシュタイン~ピアノのストラディヴァリウス
リストは、ベヒシュタインのピアノも使用していました。
ベヒシュタインの創業者であるカール・ベヒシュタイン(1826~1900)は、プレイエル、ペロー、クリーゲルシュタインといったメーカーで働きながらピアノづくりのノウハウを学んだ後、ベルリンで創業しました。
リストの弟子であるハンス・フォン・ビューロー(1830~1894)とベヒシュタインは親友だったそうですが、1857年、ビューローによってリスト作曲のピアノソナタが初演された際に、ベヒシュタインのピアノが使われました。
ベヒシュタインは、アメリカで使用されていた弦を交差するシステム、イギリスのピアノの力強いトーン、そしてフランスピアノの素早いレペティションを採用していました。
交響曲的要素を持ち、ピアニストにとってもピアノにとっても消耗の激しいこの曲に対し、ベヒシュタインのピアノは見事に応えました。
これをきっかけに一躍認知されるようになり、リストも愛用するようになります。
ベーゼンドルファーがピアノの外枠(箱)を鳴らすのに対し、ベヒシュタインは響板を鳴らすよう設計されていることが特徴で、ビューローは「ピアニストにとってのストラディヴァリウス」と評しました。
リストも私信の中で「28年間あなたのピアノを使ってきましたが、優れた品質をずっと維持しています」という言葉を残しています。
シュタイングレーバー~リストが最後に行き着いたピアノ
数々のピアノを弾いてきたリストが晩年に愛用したと言われるのがシュタイングレーバーです。
1820年にゴットリーブ・ シュタイングレーバーが創業、二代目エドワード・シュタイングレーバーが1852年、現在のバイエルン州バイロイトの地に工場を建設しました。
1875年ワーグナー(1813~1883)が個人的に発注し、その後、バイロイト音楽祭やワーグナー家のために製造することになります。
リストは晩年バイロイトに移り住みますが、娘コジマがワーグナーと結婚していたことも関係あるのでしょう。
1886年モデル200の生産が始まり、このモデルのシリアルナンバーNo.4328がリストの最後のシュタイングレーバーです。
現在、シュタイングレーバー社のロココホールにリストが実際に弾いていたピアノがあり、ときどきコンサートにも使用されています。
リストが使用するピアノに求めたもの
リストは数々のオーケストラ作品をピアノ用に編曲しているくらいですし、初見や即興演奏が得意で、その際に「音が足りない」と言ったとか、勝手に音を増やしてアレンジしたとか。
ピアノに厚みのある豊かな響きを求めていたのではないでしょうか。
印象としては、ベヒシュタインとベーゼンドルファーを弾く機会が多かったのでは?と思います。
楽長を務めていた宮廷にはベヒシュタインが、校長を務めていた音楽院にはベーゼンドルファーがあったそうです。
また、毎年ピアノメーカーからは楽器の提供があり、引き取られたピアノは「リストが弾いたピアノ」として高く売られたとか。
一つのピアノを弾くという志向はあまりなかったのかもしれません。まさに弘法は筆を選ばず?
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