音楽史

ベートーヴェンの愛したピアノ|ヴァルター・エラール・シュトライヒャー

ベートーヴェン&ピアノのイメージ画像

晩年のモーツァルトのピアノ演奏を聴いて、「見事ではあるが、音がポツポツ切れてレガートではなかった」と、ベートーヴェンは述べています。

そんなベートーヴェンは、ピアノには強いこだわりを持っていました。

そして、ベートーヴェンのピアノ作品をたどると、ピアノという楽器の変遷も見えてきます。ベートーヴェンの使用したピアノとは、どのようなものだったのでしょうか。

本記事では、ベートーヴェンが使用していたピアノの変遷を、それぞれの時期に生まれた楽曲と共に確認していきます。

ヴァルター製のピアノ|初期のピアノ作品への影響

最初にベートーヴェンの身近にあった鍵盤楽器は、クラヴィコードかチェンバロ、あるいはオルガンでした。

18歳頃にヴァルトシュタイン伯からシュタイン製のピアノを贈られます。

1792年ウィーンに移住し、そこではヴァルター製のピアノを愛用しています

シュタインやヴァルターのピアノは跳ね上げ式(ウィーン式)のアクションで、浅いタッチの軽やかな音色が特徴です

音域はF1~f3の61鍵。モーツァルトが使用していたピアノとほぼ同じです。

悲愴ソナタ(作品13)、月光ソナタ(作品27-2)、テンペスト(作品31-2)など作品31まで、ベートーヴェンの半分以上のピアノソナタは、ウイーン式のピアノを想定して作曲されています

エラール製のピアノ|中期のピアノ作品の頃

1789年のフランス革命後、それまで貴族のものであったピアノ音楽も一般大衆化し、大ホールで大勢の人々に聴かれることを前提とされるようになりました。

それに伴い、音量や音の伸びが要求され、弦はより高い張力で張られ、それを支えるボディも堅牢になっていきます。

1803年、フランスのエラールからベートーヴェンにピアノが寄贈されます

エラールのピアノは突き上げ式(イギリス式)という、シュタインやヴァルターの跳ね上げ式とは異なるアクションです。

イギリス式の特徴は、重厚なタッチで力強い音が出せることです(ちなみに、現代のピアノ・アクションはイギリス式です)。

音域もF1~c4の68鍵となり、上方に5度拡大されました。

この時期、ヴァルトシュタイン・ソナタ(作品53)や熱情ソナタ(作品57)が作曲されています

シュトライヒャー・ブロードウッド製のピアノ|後期のピアノ作品への影響

エラールのピアノの音量には満足したものの、その表現力には物足りなさを感じたようで、ベートーヴェンは熱情ソナタを作曲した後、しばらくピアノの作曲から遠ざかりました。

そのベートーヴェンをピアノの作曲に引き戻したのはシュトライヒャーです。

1809年、シュトライヒャーの開発した新型のピアノはベートーヴェンを大いに喜ばせました

ピアノを製作したナネッテ・シュトライヒャーはシュタインの娘です。

1794年に詩人でピアノ奏者のヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーと結婚するとウィーンに移り、当代随一の製作家の一人として認められていました。

ベートーヴェンとは楽器を提供するだけでなく、様々な面で生活を支援し、生涯、緊密な関係にあったようです。

このシュトライヒャーのピアノに刺激を受けて、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ三重奏曲「大公」などの傑作が次々に生み出されることとなります

ちょっと面白い例がこの時期に作曲されている「ハンマークラヴィーア・ソナタ」(作品106)です。

シュトライヒャーは1810年以降、F1~f4の6オクターブのピアノを製作していました。

1818年2月初めにベートーヴェンにイギリスのブロードウッド製のピアノが贈られたのですが、それはシュトライヒャー製の楽器より音域が四度下方にずれた、C1~c4の6オクターブだったのです。

すると、ベートーヴェンは、ハンマークラヴィーアソナタの第1楽章・第2楽章はシュトライヒャーのピアノの音域で作曲、第3楽章・第4楽章はブロードウッドのピアノの音域で作曲したのでした。

次に製作する楽器ではここまで音域を広げてほしいという、ベートーヴェンの希望の表れだったのでしょうか。

ちなみに、シュトライヒャーのアクションは跳ね上げ式(ウィーン式)、ブロードウッドのアクションは突き上げ式(イギリス式)です。

晩年、耳が聞こえないベートーヴェンのために特殊設計されたコンラート・グラーフ製のピアノ(78鍵・C1~f4)を使用していました。

しかしながら、この楽器がベートーヴェンに与えた影響は少なかったようです。

コンラート・グラーフ製のピアノは、現在、ボンのベートーヴェンハウスに展示されています。

ベートーヴェンがピアノに求めた音

ベートーヴェンはモーツァルトと14歳しか違いませんが、モーツァルトよりもずっと多くのピアノに触れていることが見て取れます。

その中で、ベートーヴェンはピアノにレガートによる音の保持を求め、より大きな音量によるダイナミックな表現を求めたように思います。

ベートーヴェンが最初に好みを表明しているのは、ヴァルターのピアノです。

製作者たちから無償で楽器の寄贈を受けられる立場にあったベートーヴェンが、ヴァルターに対しては代金を支払ってもよいとさえ言っています。

それから、ベートーヴェンに作曲の意欲を起こさせた、シュトライヒャーのピアノです。

シュトライヒャーと親しい付き合いだったこともあり、たびたび手紙で要望を出しています。

ある意味、シュトライヒャーのピアノはベートーヴェンとの共同開発だったのではないでしょうか。

作曲家は楽器に触発され、楽器の能力を最大限に用いて曲を作り、製作者は要望に応えるべく毎回工夫を凝らして楽器を作る。そのような切磋琢磨し合う関係がピアノを発展させていったと言えるでしょう。

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