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バッハとアンナ・マグダレーナの子どもたち|バロックと古典派の狭間で

バッハとアンナ・マグダレーナの子どもイメージ

J.S.バッハの1人目の妻であるマリア・バルバラは、36歳という若さで急逝してしまいます。

マリア・バルバラを突然失ってしまったJ.S.バッハは、その一年半後に年若い妻、アンナ・マグダレーナ(Anna Magdalena Bach)と再婚します。

愛する妻が亡くなってそんなに早く?!と現代の感覚では思ってしまいますが、当時は半年以内に再婚するのが普通で、一年半というのは遅い方であったとされています。

それだけJ.S.バッハはマリア・バルバラの死にショックを受け、再婚する気になれなかったのでしょう。

アンナ・マグダレーナは当時20歳。J.S.バッハと同じくケーテンの宮廷お抱えのソプラノ歌手でした。

そのため、、音楽の面でもJ.S.バッハをサポートし、楽譜の清書を行っています。アンナの筆跡はJ.S.バッハ本人のものと間違えられるほどでした。

アンナ・マグダレーナは13人の子どもを産みましたが、成人したのは男子3人と女子3人でした。

J.S.バッハの子どもたちはどのような生涯を過ごしたのでしょうか。

本記事では、J.S.バッハの子どもたちの中から、アンナ・マグダレーナとの子どもたちをピックアップしてご紹介します

バッハとアンナ・マグダレーナの子ども①|ゴットフリート・ハインリッヒ・バッハ(1724~1763)

バッハとアンナ・マグダレーナの子どもの1人目は、ゴットフリート・ハインリッヒ・バッハ(Gottfried Heinrich Bach / 1724~1763)です

ゴットフリート・ハインリッヒ・バッハは、幼い頃、音楽的才能を示していました。

ところが、後に精神病あるいは知的障害が表れ、妹エリーザベト・ユリアーナ・フリーデカ(1726~1781)の結婚相手でかつてのJ.S.バッハの弟子、ヨハン・クリストフ・アルトニコル(1720~1759)のもとに引き取られて生涯を過ごしました。

「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」の中のアリア「So oft ich meine Tobackspfeife(私はしばしばパイプによい煙草を詰めて)」(BWV515a)はこのゴットフリート・ハインリッヒの作曲ではないかと言われています

バッハとアンナ・マグダレーナの子ども②|ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハ

バッハとアンナ・マグダレーナの子どもで2人目に紹介するのは、ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハ(Johann Christoph Friedrich Bach / 1732~1795)です。別名は、「ビュッケブルグのバッハ」です。

ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハは、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)と同年の生まれで、ビュッケブルグの宮廷で活動しました

地味な存在ですが、文学者で詩人のヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744~1803)との出会いにより、「幼きイエス」「ラザロの蘇生」など相当数のオラトリオやカンタータを共同で製作しています

彼の息子ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト(1759~1845)が直系最後の作曲家となりました。

バッハとアンナ・マグダレーナの子ども③|ヨハン・クリスティアン・バッハ

続いてのバッハとアンナ・マグダレーナとの子どもは、ヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach / 1735~1782)です。通称はロンドンのバッハ、ミラノのバッハです。

クリスティアンは兄弟の中でちょっと毛色が違います。国際的な名声を得て、オペラ作曲家として活躍しました。

クリスティアンの音楽を聴くと、まるでモーツァルトのようです…実際は順番が逆なのですが。

モーツァルトがヨハン・クリスティアン・バッハに大いに影響を受けていたのです

その後、モーツァルトはスヴィーテン男爵のもとでエマヌエル・バッハの作品に触れ、エマヌエルからも大きな影響を受けることになります。

話を戻しますが、ヨハン・クリスティアン・バッハ15歳のときに父J.S.バッハが亡くなり、次兄エマヌエルの所へ引き取られます。

その後イタリアへ行き、ジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニ神父(1706~1784)に学び、ミラノ大聖堂オルガニストを務めました

さらにロンドンへ渡り、大いに活躍します。G.F.ヘンデル(1685~1759)の後釜的立ち位置だったと考えられます。

イタリア滞在中にカトリックに改宗しており、エマヌエルはクリスティアンがオペラに進出したことに加えて、それが気に入らなかったようです。

すぐ上の兄ヨハン・クリストフ・フリードリッヒは、1778年に息子ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンストを連れてクリスティアンのもとを訪れ、大きな影響を受けました。

そして、息子をクリスティアンに弟子入りさせています。

順風満帆だったヨハン・クリスティアン・バッハですが、晩年は人気が低迷し、多額の負債を抱える中、急逝したということです。

バッハの息子たちが果たした役割

J.S.バッハの息子たちが活動した時代はバロックと古典派のちょうど端境期に当たります。

「ロココ様式」「ギャラント様式」「疾風怒涛(シュトゥルム・ウント・ドランク)」と呼ばれる多様性の中で、J.S.バッハの息子たちは時代をつなぐ役割を果たしたと言えるでしょう。

一方、アンナ・マグダレーナの成人した娘には、先述したエリーザベト・ユリアーナ・フリーデカの他、ヨハンナ・カロリーネ(1737~1781)とレギーナ・スザンナ(1742~1809)の名前がありますが、エピソードは伝わっていません。

アンナ・マグダレーナ自身、ソプラノ歌手として宮廷で活動していたわけですし、娘たちの活躍があってもよさそうなものだと思ってしまいます。

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