イタリアのクリストフォリがピアノの前身となる楽器を作ってから、ピアノは製作者によってさまざまな改良が加えられました。
初期のピアノは1台1台手作りでしたから、そのたびに新しいアイディアが試みられたのです。
モーツァルトの時代、ピアノはまだまだ発展途上だったと言えます。モーツァルトはどのようなピアノを弾いていたのでしょうか。
本記事では、モーツァルトとピアノとの出会いや、愛用したシュタインやヴァルターのピアノ、モーツァルトがピアノに何を求めていたのか、についてご紹介します。
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モーツァルトにとってのクラヴィーア曲とは
モーツァルトは、3歳からクラヴィーア(=鍵盤楽器全般を指す言葉)を弾き始め、5歳になると作曲を始めました。
モーツァルトの父であるレオポルトは、姉のナンネルの鍵盤練習のために「ナンネルの楽譜帳」をつくりました。
そして、幼少期のモーツァルトは、この「ナンネルの楽譜帳」に書き加える形で作曲を行っています。
「ナンネルの楽譜帳」の中には、モーツァルト作の「クラヴィーアのためのアンダンテ」「クラヴィーアのためのアレグロ」「クラヴィーアのためのメヌエット」といった曲が収められています。
しかし、この頃のザルツブルグにはまだピアノがなかったため、クラヴィーア曲の「クラヴィーア」とは「チェンバロ」演奏を念頭に置いたものだったと推測されます。
モーツァルトとピアノとの出会い
その後、モーツァルトは演奏旅行でヨーロッパ各地を訪れます。
ロンドンはピアノ生産の中心地だったこともあり、モーツァルトはそこでピアノと出会ったと推測されます。
また、クリスチャン・バッハ(J.S.バッハの末子)に会い、強い刺激を受けました。
モーツァルトは、1775年に最初のピアノソナタ(第1番~第6番)を作曲します。
これらのピアノソナタを作曲した当時、モーツァルトはミュンヘンに滞在していました。
ミュンヘンではかなりピアノが普及していたことから、ピアノを念頭に置いて作曲したものと考えられます。
シュタインのピアノ|モーツァルトが絶賛したエスケープ機構
1777年のマンハイム・パリ旅行の際に、モーツァルトはシュタインのピアノに出会いました。
当時、シュタインのピアノを弾いた感激を、父レオポルトに手紙で書き送っています。
モーツァルトは、シュタインのピアノの優れている点として、「ダンパーがよく効き、指を鍵盤上に残しておこうと鍵盤から上げようと、鳴らした瞬間にその音が消えること」「音は常に一様で、すべてが均一の音でできていること」を挙げています。
その理由として、エスケープメント機構に触れています。
エスケープメント機構とは、ハンマーが弦を打った瞬間に素早く元の位置に戻るための装置です。
「エスケープメントがなければ、ピアノ・フォルテがカタカタ音をたてたり、残響がのこったりしないようにすることはまったく不可能です」と述べています。
ということは、そのような不具合を感じるピアノも当時は多かったということですね。
さらに、シュタインはドイツ式もしくはウィーン式と呼ばれるアクションを完成させました。
ウイーン式のピアノは撥ね上げるようにして打弦する仕組みで、軽快なタッチと明るい音が特長です。
ヴァルターのピアノ|ウイーン時代のピアノ協奏曲・変奏曲
1781年、モーツァルトは、ザルツブルグの大司教と決別し、自由な音楽家として活動するためにウィーンに来ました。
最初の頃、モーツァルトはシュタインのピアノを愛用していましたが、やがてヴァルターのピアノを使うようになりました。
1785年に父レオポルトがウィーンを訪れた時に息子モーツァルトがヴァルターのピアノを持っていたことを書き残しています。
したがって、モーツァルトはその前にはヴァルターのピアノを手に入れていたことになります(このピアノは現在、ザルツブルクのモーツァルト博物館に保管されています)。
ヴァルターのピアノは、シュタイン製のピアノと同様に跳ね上げ式(ウィーン式)のアクションで、浅いタッチの軽やかな音色が特徴です。
レオポルトのウイーン訪問の前後である1784年から1786年にかけて、モーツァルトはピアノ協奏曲を集中的に作曲しました。
ピアノ協奏曲が数多く書かれたのは、予約演奏会を開いて日銭を稼ぐためもあったと推測されます。
また、モーツァルトはこの時期に、ピアノソナタよりも変奏曲を多数書き残しています。
その理由は、オペラの旋律を用いた変奏曲が人々に愛好されたことに関係があります。変奏曲にくらべて、ピアノソナタは抽象的で難解だと思われていたわけですね。
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲が書かれたのは1791年1月、ピアノ協奏曲第27番です。
莫大な借金に追われ、予約演奏会を開くことができずにいたモーツァルトに親しい友人であったクラリネット奏者ベーアが声をかけ、宮廷料理人ヤーン邸において開かれた演奏会に出演させてもらい、このピアノ協奏曲を演奏しました。
これが演奏家としてのモーツァルト最後のステージにもなりました。
モーツァルトがピアノに求めた音
モーツァルト時代のピアノは木のフレームで出来ていて、楽器全体の重さも軽く、ハンマーもとても小さいものでした。
鍵盤も浅く、タッチするとチェンバロよりも軽いくらいです。繊細で、現代のピアノでは濁りがちな低音でも非常にクリアに聴こえます。
ペダルも「膝ペダル」と言って、鍵盤の下の部分に取りつけられており、膝で押し上げて操作しました。
このように、現代のピアノと大きく異なるため、この時代のピアノは「フォルテピアノ」と区別して呼ばれることもあります。
現代のピアノでモーツァルトを弾く場合、「フォルテを大きくしすぎないで」「ペダルを使いすぎないで」と言われることがあります。
モーツァルトの曲でフォルテやペダルの制限が求められる場合があるのは、モーツァルト時代のピアノの特徴である軽快さを考慮してのことなのです。
現代のピアノでは、モーツァルトの頃のピアノとくらべて響きが残りすぎてしまいます。鍵盤のアクションの仕組みも違いますから、なおさらです。そこをコントロールしないといけないという難しさがあります。
若きベートーヴェンは、モーツァルトの演奏を聴いて「演奏は見事でしたが、音と音が途切れていて、レガートになっていませんでした」と書き残しています。
これは、モーツァルトが音の歯切れの良さに重きを置いていたと考えることもできるでしょう。
チェンバロでは音と音の微妙な間合いを変えること(=アーティキュレーション)で表現をします。
モーツァルトは、チェンバロのようなアーチキュレーション的表現をピアノにも求めていたのかもしれません。
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